『令和』の自分に向けた『平成』の記憶

1990年 / 平成2年に生まれて30年弱。
あと数時間で初めて和暦が変わる瞬間に立ち会う。

30年弱の人生の中で、色んなことにチャレンジしてきたと思うけど、それと同じ以上に辞めたことも多かった。
「選択と集中」とか「新しいチャレンジのための辞める意思決定」なんて言葉で着飾ればそれっぽいけど、やっぱり大きく後悔していることもある。
もしあのとき辞めてなかったら…とかIF論を考えることに意味はないけど、「腰を据えて物事に取り組む姿勢の大事さ」に気がつくかもしれない。
だから、いつか『令和』の自分が歩みを止めそうなときに、その考え方を変えるきっかけになるかもしれないものをつらつらと残しておこうと思う。

ゲームより脱ヲタを目指す

今から17年前。
2002年、12歳の自分はアーマードコア(以下AC)の虜だった。
ACとは株式会社フロム・ソフトウェアが開発したロボット対戦ゲームだ。

アーマードコア3
引用)公式サイト:AC3SLのゲームイメージ

数百種類のパーツから自分好みのロボットを作り上げ、自ら操作して対戦できるというゲームシステムに、元々ロボットアニメ好きだったことも加わって熱狂していた。
対戦相手を想像して機体を組み上げ、実際の対戦では相手の機体を観察しながら立ち振る舞う奥深いゲームデザインに心底魅力されていた。

ただコア過ぎるゲーム内容ということもあり、当時身の回りでACを遊んでいる友達は皆無だった。
そこでインターネットの掲示板やサイトで対戦できる仲間を探し、チームに加入したりした。

当時は今ほどインターネット対戦の環境が整っていないので、対人戦をするときは実際に集まる必要があった。
なので週末になると、泣けなしのお小遣いを片手に都内のチームメイトの家に向かい、泊まり込みの対人練習をしていた。

チームメイトのほとんどは大学生ぐらいの年齢だったものの、当時中学1~2年の自分に対して大変親切にしてくれた。
ゲームをうまくなることと同じぐらい、ゲームを通して色んな人とコミュニケーションとれたことが楽しかった。
この当時の原体験が、今でも僕がゲームに関わるきっかけになっている。

そして拙いHTMLを駆使して攻略サイトを作ってみたり、対戦会や大会のレポートを書いたり、ゲーム×インターネットの領域で小さいながら楽しく活動していた。

だが2年弱ぐらい経った頃、些細なきっかけで一切の活動を辞めてしまう。
当時通っていた中学校ではまだまだヲタクに対しての風当たりが強かったので、活動自体は一部の友達を除いておおやけにしてなかった。
ある日、非ヲタの友人からヲタクっぽいことに対して強めに言及され辞めてしまったのだ。
自分の情熱がそこまでだったと言われてしまうかもしれないが、こんな些細なきっかけで自分は脱ヲタへ向かっていってしまう…。

引用元)脱ヲタクファッションガイド

幸いながらその後の高校~大学ではヲタクに対して寛容というか、積極的な人も多くアニメ/漫画/サブカルなどの話題は多かった。
ただゲームについてはACも新作は触るものの対戦などコアな活動は辞めたまま成人を迎える。

かくしてゲームより脱ヲタを優先させ、ディープなゲームの世界から10年以上離れたのだ。

社会人になって感じた時間の重さ

時は経ち、新卒として入ったインターネット系の広告会社でネット広告の運用担当に従事するようになった。
新卒の頃はパズドラを筆頭にソシャゲバブル全盛期の時代で、それに伴って広告宣伝のニーズも右肩上がりだった。
そんな中、自分のメイン領域はソーシャルゲームのネット広告の運用になり、再びゲームとの関わりを持つことになる。
そしてその後も色んなきっかけが重なりゲーム攻略サービスを立ち上げたり、カジュアルゲーム開発したりとゲームとの関わりが増えた。

そんな中、プライベートでもゲームのディープな面に改めて向き合うようになった。
失った時を取り戻すように、過去の名作をプレイしてみたり、AAA級タイトルを貪るように遊んだ。
元々対戦ゲームが好きだったこともあって特に日本国内のe-Sports界隈の盛り上がりは感動した。
まだまだ選手報酬メインというよりは実況者/ストリーマーとしての稼ぎが多そうなところはあるけど、プロゲーマーが職業として成り立ちつつあり周辺産業も立ち上がりの火がつきそうになってきている。

そのような盛り上がりを見て感動を覚える一方、自分が表層上のくだらない理由でゲームとのディープな関わりを断ってしまった十数年あまりを後悔したし、それと同時に脇目も振らずにこの業界で走り続けてきた人たちへの尊敬の念が生まれた。

誰にも注目されなかったり、時には後ろ指さされながらでも、自分が信じたものに向かって真摯に取り組んできた人たちが今の業界を作っているのだ。
そして彼らが少しづつ積み重ねてきて今や巨大になった価値を自分も享受するようになったのだ。

失った時を後悔しても仕方ないと思うし、何も生まない。
そして今の自分自身を形成しているのもこの十数年のいろいろな経験だ。
だけど一つだけ次の十数年を過ごす自分に言うとしたら、”振り返ったときに大きな仕事を成し遂げたなと思いたいなら「腰を据えて物事に取り組む胆力」が必要だ”ということだ。

「継続」し続けることが価値を生む

やっぱり決まった領域に継続してアプローチし続ける人は強い。
起業家などでもある特定の課題に対して深い動機がある人はいつか偉大なソリューションを生み出す。
それは以前も「ブレない軸が生み出す経験値効率の良さ」という記事で書いたが、ブレないゴールに向かい続けることで貯まり続ける経験値があるからだ。
(簡単に言えばゴールが目移りしがちな人は、過去の経験が活かされにくいという話だ)

だから表面的な理由で価値を発揮しようとするフィールドを変更してはならない。
「ここで価値を出したい」と思った領域でうまくいかなくても、表層上のノイズを言い訳にせず、腰を据えて向き合い続けることでしか大きな仕事は成し遂げられないのである。

自分がビジネスで失敗した際に多かった理由のひとつも「継続する胆力がなかった」ことだ。
「この領域いけそうだな」と思ってはじめたビジネスもある程度障害を乗り越えて競合から抜きん出るまで継続できなかったから成功の果実を逃したのだ。

これは先日の孫正義のインタビューの話にも通じることがある。

▼いかがわしくあれ、新しい文化に立ちすくむな / 孫正義
https://heisei.yahoo.co.jp/interview/4.html

言い換えると、日本の悪い癖は、自分たちがわかる過去の世界のことを本業と呼ぶ。本業からはみ出すやつは危険なやつだと、邪道だと、すぐに言いたがって、いかがわしい目で見るわけです。最近で言うと、「月に行く」と言いだすと、メディアもよってたかって厳しい目を向けたりね。いや、確かに彼らはいかがわしいですよ。でも、そのいかがわしさが必要なんですよ、堰を越えて波に乗るためにはね。
新しい文化というのは常にいかがわしいところから生まれる。ビートルズだって、当時、僕らが子どもだったころは、いかがわしいと。あんなのを聴いたら不良になると言われたわけですよ。でも今では音楽の教科書にも出てくるでしょう。

大きな仕事をなそうとするとき、その起点となる部分は小さく辺境の場所で始まるときが多い。
そして小さく辺境から立ち上がったものは、他人から「いかがわしく」思われるのが常である。
だからこそ理解されないノイズは無視すべきなのである。

振り返って大きな仕事をしたなと思えるために、「継続する胆力といかがわしさ」を合わせ持つこと。
「令和」の自分が「平成」の自分と同じ後悔をしないように。

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