7年ぶりにアナログの手帳を買った理由【ほぼ日手帳】

ほぼ日手帳

まだガラケーの時代は手帳を持っていたけど、スマートフォンに変えた頃から手帳を持つのをやめてしまった。
Googleカレンダーでのスケジュール管理、Evernoteでのノート管理、Facebook/LINEでの連絡先管理など従来手帳の役割だったものがほとんど代替されてしまったからだ。

でも今日およそ7年ぶりに手帳を買った。
前々から「ほぼ日手帳」のことは気になってはいたが、オンラインショップで購入を踏みとどまっていた。
今日、ほぼ日が主催している「生活のたのしみ展」に行ってきたのだが、今日買わなかったらまた暫く買わないだろうなと思い、迷ったら変化の大きい方へ的なノリで買った。

そもそも日誌を書く習慣があるがそれらもノートアプリを使っている。
だいたい文字をわざわざ書くよりタイピングした方が早いし可読性や検索性も高い。
「効率性」という軸で考えた際にアナログな手帳を持つメリットがほとんどない。
それでも買ったのは「効率性」的な概念から抜け落ちるものを拾うためだ。

これまではひたすら「効率化」「合理性」や「時短」という概念のもと、多くのものを取捨選択してきた。
別にそれ自体は悪いことではないし、自分でもその軸で取捨選択してきたことでかなりのメリットを享受してきた。
これからもそういう考え方は頭の中で自動的に働いてしまうと思う。
それはデジタルやオンラインで溢れている世界の中にいる時間が長くなるほど不可避だ。

だからこそ「アナログ」でいることが希少価値を引き出すきっかけを与えてくれるのではないかと思ってる。

例えばデジタルタイピングしてしまうことで文字 / 文章の解像度は落ちてしまう。
それは手書きの線の強弱みたいな手触りや質感のようなものだ。
デジタルであるということは再現性を高めることであり、誰がやっても同じクオリティを発揮できるという意味では非常に助かってる。
でもその代り希少性という観点で言えば抜け落ちてしまうものもでてくるのである。

また全ての情報が繋がっていく中で繋がらない環境を持つという意味合いもある。
オンラインでいることは同質化を強く促す。
それはTwitterなんかでは顕著に現れる。
同じようなものが好きな人達がフォローし合うことで、情報の誤配が少ない同質性が高い「世間」を形成し島宇宙化していくのである。
何か良いものが発信されればそれは一気に拡散され、既知の情報となる。

全ての情報が繋がり合うことで希少性の希薄スピードも高まるのである。

オタキングex公式サイトの『【社長日記】クラウド化する「わたし」』という記事でクラウド化とアイデンティティの問題について語られていて興味深い。
(元の記事は残念ながら消失してしまってる。インターネット・アーカイブに残ってるかもしれない…)

クラウドはあまりに巨大すぎて、それぞれの顔が見えなくて、どんな人が言ってるのか分からない。むき出しの自分と対峙させると、あっという間に自分が溶けてしまう。
「自分の意見」なんかまるで通用せず、「自分が賛成できる意見」「代弁してくれる意見」のみを探してしまう。
つまり「ゴーストラインが侵略されて、自分が溶けて無くなる」。
そう、リアル脳とクラウド脳しか無かったら、考え方、アイデンティティはどんどんクラウド側に「溶けて」いってしまう。
それを防ぐための防衛線として、ノートという「自分の内部のゴーストライン防衛装置」と、リアル関係やサロン的ネット社会という「社会に対する時のゴーストライン防衛装置」が必要になるんじゃないかな
最近、僕はそんなことを考えてます。

これからもデジタルである利便性を享受し続けると思うし、それに対して否定的な感情は一切なく、むしろどんどん便利になって欲しいと思ってる。
でもそういったデジタル化できないものを観測する場所を残しておくことで、世界の見方の解像度があがり、考え方やモノの見方の希少性が生まれる可能性があると思う

今更、不便なアナログの手帳を持つことに「続くのかなぁ」という不安が正直あるけど、デジタルなものと切り離した時間を持ってみるきっかけになればよいなと。

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