言葉遣いのセンスを磨く

Twitterでシェアされてた文章見てギクリとさせられた。

語感に欠ける人間が言葉を 杜撰 に使いつづけると、言葉は力を失う。あれもこれもが同じ言葉で語られるうち、その言葉が本来表すべきものの尊厳が損なわれる。人はドレスを美しいと言い、犬を美しいと言い、説教を美しいと言う。そして、「美」なる言葉で表すべき当のものに出会ったとき、それを美と認識できなくなる。つまらない考えを飾ろうとして偽りの強調を重ねているうち、感受性が鈍る。
『月と六ペンス』より

自分は『間』というものが苦手だ。
『間』を見ると不安になるし、その『間』を埋めたくなる。
だから話し言葉も書き言葉も分量が多くなりがちだ。

でも『間』を恐れずに熟考できる人々は、端的な物言いで正確に物事を伝えられる。
この『間』から生まれる想像、思考、選択への努力が、感受性を磨くのだ。

「量質転化」的な考え方で量をこなすことで質につながることはあるが、熟考の『間』を排除して安易な数を出したところでその質は高まらない。
熟考できる『間』を数多く経験することが感受性を磨くことにつながる。

とりあえず多くの言葉で着飾ることを選ぶことで、どうにでも捉えられるような文章ができあがる。
それはどうにでも捉えられる故に、刺さらない言葉遣いになるのだ。

絶え間ない情報の荒波に乗り続けないといけないという脅迫感的なものから脱却して、スローな時間を過ごしながら熟考をする時間が自分には大事だ。

もしかしたら筆が止まり過ぎてしまって書くことを辞めてしまうかもしれない。
けれども言葉と真摯に向き合い続けて選ばないと、言葉と深く繋がりがある思考や感受性は磨かれない。
すぐに変化することは難しくても、少しずつでも言葉選びへの真摯な向き合い方をしていきたいと思わされた文章だった。

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